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東京アンチモニー工芸品とは

カメオの装飾が印象的なオルゴール 曲目:ノクターン

東京アンチモニー工芸品の概要

1.東京アンチモニー工芸品とは

鉛をベースに、アンチモン、錫を混ぜた合金のことをアンチモニーと呼びます。東京アンチモニー工芸品はアンチモニーを原料とした鋳物製品であり、明治初期に東京の地場産業として技術が確立しました。繊細な模様や彫刻を活かし、装飾品、賞杯、置物等が製造されています。

2.東京アンチモニー工芸品の特徴

アンチモニー合金は、どっしりとした重量感があり、軟金属で肌ざわりも大変柔らかく、鋳造後の収縮がほとんどないという特性があり、鋳型に彫刻された繊細な模様を忠実に再現できるなど、他の金属にない大きな特徴を持っています。また、メッキの乗りが良いため、金・銀・銅などのメッキを容易に施すことができるので、見栄えの良い製品が作れます。

東京アンチモニー工芸品の材料

【2種類の地金】

鉛100%では柔らかすぎるため、作る製品により次の2通りの地金を使い分けます。

1.焼地金

鉛90%+アンチモン10%

2.戻し地金

鉛80%+アンチモン20%

歴史を感じる大型の鋳造機械 -荒井金属製作所蔵-

東京アンチモニー工芸品の歴史

1.起源

明治維新によって職を失った徳川幕府お抱えの鋳物師や彫刻師達が、武具の製造から平和産業である金属製品を模索しているうちに、アンチモニー製品の製法を確立しました。東京に職人が終結して技術を競い合ったため、早くから東京の特産品としての地位を確立するにいたりました。

2.明治の隆盛期

日露戦争後、富国強兵の国策に従って外貨獲得可能な輸出産業に重点が移り、アンチモニー製品の工芸性と外国人趣向の金属製品が好まれたため、アンチモニー産業の基礎が確立されました。国内でも、戦勝景気で記念品などの需要が盛り上がり、アンチモニー産業は全盛期を迎えました。

3.戦後の発展期

戦時中は鋳型を供出したり、組合も解散するという事態に至りましたが、戦後の復興の中、アンチモニー産業は輸出による外貨獲得に大きく寄与し、軽工業界では抜きんでた東京の地場産業となりました。
その後も輸出額は右肩上がりに伸び、1960年代には輸出産業の花形としての地位を築きましたが、70年代に入ると円通貨の対ドル高騰などの影響を受けて輸出額は大幅に減少していきました。

4.転換期

輸出が伸び悩み、国内市場に活路を求める状況となったアンチモニー業界は、昭和のボーリングブームやゴルフブーム向けに優勝カップやトロフィー、メダルなどをメインに製造するようになって行きました。

5.国の伝統的工芸品に指定

平成27年、東京アンチモニー工芸品は経済産業大臣より伝統的工芸品に指定されました。

最新の技術で開発した金属製の升

現代の東京アンチモニー工芸品

1.東京アンチモニー工芸品の変遷

アンチモニー合金の主原料である鉛は、軟らかくて加工がしやすく、しかも安価な素材として珍重されてきましたが、人体に有害であることから、近年は敬遠される傾向にあります。工業界を中心に鉛フリー化が進められたこともあって、現在は鉛製品を海外に輸出することも出来なくなっています。
そのため、東京アンチモニー工芸協同組合様としましては、持ち前の高度な鋳造技術を生かして、環境に優しい錫を使用した製品の開発を進めておられます。錫地金の価値は金、銀に次ぐものと評されていて、金と同様に水を浄化する作用があると言われています。

2.今後の東京アンチモニー工芸品

東京アンチモニー工芸協同組合様が東京都立産業技術研究センター様と共同開発した銀製品の光沢の色合に近づけた錫製品は「エテナ」というブランド名で展開しています。錫はお酒を美味しくすることが知られていて、タンブラーやぐい呑みが人気となっています。

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